「治される」から「ともに選ぶ」がん治療へ
- 和田仁
- 3月19日
- 読了時間: 4分
「先生、私、インターネットで見つけた代替療法が気になって……。でも、なかなか主治医の先生には言い出せなくて」
ある日、診察室でそう打ち明けてくれた患者さんがいました。うつむきながら、少し申し訳なさそうに。 その言葉が、このブログでお伝えしたいことの、すべての出発点です。
マズローの5段階欲求と、現場での「違和感」

今週、仙台大観音がそばにある見晴らしの良いホテルで、経営者向けの早朝セミナーに参加してきました。そこで聞いたのが、有名な心理学『マズローの5段階欲求』のお話でした。
「人間には5つの階層的な欲求があり、ピラミッドのように下から順番に満たされていく」という美しい理論です。下から生理的、安全、社会的、承認、自己実現の順で構成され、マネジメントやビジネスでのモチベーション管理などに活用されています。
しかし、日々がん患者さんと向き合ってきた私には、どこか引っかかるものがありました。
「人間の心って、そんなに綺麗に段階を踏むものだろうか?」
マズローの5段階欲求はわかりやすく整理されていることもあり有名ですが、現代心理学の主流は、『自己決定理論(SDT)』というものに移り変わっています。人間が本当に前向きなエネルギーを発揮するには、ピラミッドを登るのではなく、次の「3つの心の栄養」が同時に満たされる必要があるという考え方です。
自律性: 誰かにやらされるのではなく、自分で選びたいという思い。 有能感: 自分は状況を理解し、乗り越える力があると感じること。 関係性: 孤独ではなく、誰かと深く結びつき、理解し合えている安心感。
実は、この3つこそが、がんの宣告を受けた患者さんから真っ先に奪われてしまうものなのです。
「言い出せなかった」に隠された3つの喪失
最初にご紹介した患者さんの言葉に戻りましょう。「言い出せなかった」——この一言の中に、先ほどの3つの喪失がすべて詰まっています。
自分で選べない(自律性の喪失)
状況をコントロールできていない(有能感の喪失)
主治医にさえ本音を言えない孤独(関係性の喪失)
私はその時、こうお伝えしました。
「話してくださって、ありがとうございます。あなたの治療は、あなたが選ぶものです。ただ、せっかくあるご自身の生命力を活かすために、標準治療という道具も一緒に試してみませんか」
相手を論破することや、正しさを競うことは、私の仕事ではありません。まずは「自分で選びたい」という切実な願いを、すべて受け取ること。それが最初の一歩です。
あなたの『軍師』として、ともに戦略を練る
がんの治療において、セカンドオピニオンを求める方の中には、藁にもすがる思いで『奇跡の治療法』を期待して来院される方もいらっしゃいます。 正直に申し上げると、魔法のような治療法を提示できず、私自身がプロとして無力感に包まれる瞬間もあります。
しかし、病気を治す『奇跡の地図』は示せなくても、残された時間の戦略をどう管理し、ご家族や知人とどのように過ごすか。これもまた、大切な『希望のコンパス(羅針盤)』です。
決してあきらめず、最後までともに戦略を練る。その関係性こそが、私がご提供できる最大の力です。
時には、患者さん自身の深い魂の気づきに寄り添い、こころの扉が開く瞬間を静かに待つ。押し付けることなく、必要な支援と知恵を用意しながら、戦略の指針を示す。それが私の役目です。
あなたは人生という国の主君である
がん治療は、薬や手術だけで完結するものではありません。
ここで、私はあなたの軍師として存在します。
あなたは、ご自身の人生という国を治める、かけがえのない主君。いわば、あなた自身の物語のお殿様です。
私は、主君であるあなたが納得のいく決断を下せるよう、もてる知恵と知識をすべて注ぎ込み、ともに戦略を練る参謀でありたいのです。
あなたの大切な時間や、あなたらしい笑顔を守り抜くこと。そのための最善の策を、私は軍師として提案し続けます。
どんな嵐の夜も、針だけは北を指し続ける——。 そんなコンパスで、これからも日々の診療に向き合っていきたいと思います。




コメント