【偶然?宿命?】私と片倉小十郎公との不思議なご縁
- 和田仁
- 1 日前
- 読了時間: 5分
私たちは日々の生活の中で、ふとした瞬間に「これは単なる偶然なのだろうか」と、目に見えない大きな力や、ある種の『宿命』を感じることがあります。
実はごく最近、私自身の36年あまりの医師人生を振り返っていたときに、言葉を失うほどに偶然とは思えない、いろいろな巡り合わせを知りました。
学生時代を過ごした場所から、赴任した東北各地の病院、そして現在の大町にクリニックを移転するまでのすべての足跡が、仙台藩主の伊達政宗公を支えた名軍師・片倉小十郎景綱公の軌跡と、おそろしいくらいにピタリと重なっていたのです。
今日は、まだどこでもお話ししていない、この不思議な巡り合わせと宿命についてお伝えします。
1. 始まりの地:仙台・三条町(大学時代)
すべての始まりは、東北大学の学生時代にさかのぼります。ちょうど今、サッカーワールドカップ2026が盛り上がっていますが、あのドーハの悲劇やJリーグが開幕したころの話です。
青葉城址すぐ近くにある川内や評定河原などの練習グラウンドで、私もサッカー漬けな日々を送った頃、私が暮らしていたのが仙台市青葉区「三条町」にあるアパートでした。実はその場所、仙台の地誌や社伝によれば、伊達政宗公がかつて天照大御神を祀られたとされる神聖な跡地のすぐそばでした。
そして、そのお社(神社)がのちに遷されたのが、まさに今、私のクリニックから歩いて2分の最寄り駅、仙台市地下鉄東西線「大町西公園駅」の隣にある櫻岡大神宮なのです。すでにここから大町とのご縁が始まっていました。
もちろん、学生時代はそんなこと考えたことすらありませんでした。
2. 医療の原点:山形・長井(医師のスタート)
大学を卒業し、医師として初めて赴任したのが、今は無き山形県の「長井」市立総合病院でした。
右も左もわからない中で医療の原点を学んだその場所は、なんと小十郎公が生まれ育ったと伝えられ、のちに小桜城と呼ばれるようになったお城の跡地から、わずか100メートルほどの場所だったのです。
しかも病院があった地域の地名は屋城町。城域の遺構がそのまま地名に刻まれているのです。
3. 初めての異動と専門性の確立:福島・いわき
その後、私が放射線治療医として初めての異動を経験し、専門性を磨くことになったのが福島県の「いわき」での2年間でした。
歴史を紐解けば、このいわきの地は伊達家を南から脅かした宿敵・岩城(いわき)氏の本拠地であり、小十郎公が外交戦と防衛の知略を尽くした最前線でした。
4. 激戦地での研鑽:福島・会津 & 山形
次に赴任した福島県の「会津」は、小十郎公が活躍し伊達軍が南東北平定をかけて戦い抜いた最大の激戦地でした。
さらにその後長く勤務した「山形市」は、小十郎公の生涯のライバルであった最上義光公の本拠地(山形城)でした。
私は知らず知らずのうちに、軍師が最も警戒し、対峙し続けた敵陣の空気を肌で感じながら、がん治療の最前線に立っていたのです。
5. 本陣の死守:宮城・名取(震災後の4年間)
時が流れ、東日本大震災という未曾有の国難の直後、私は「名取市」にある宮城県立がんセンターで4年間を過ごしました。名取・仙台平野の南側は、かつて仙台開府という新しい時代を前に、小十郎公が死力を尽くして敵軍の侵攻から本陣を守り抜いた最終防衛ライン。
傷ついた宮城の命を最前線で守る防衛戦もまた、私に課せられた役割だったのかもしれません。
6. 軍師の真骨頂:福島・郡山(独立前)
開業する前、最後にがん治療の最前線に立ったのが、福島の「郡山」。
ここは、若き政宗公が絶体絶命の窮地に陥った際、小十郎公が決死の覚悟で盾となり、知略の限りを尽くして主君を守り抜いた軍師の真骨頂の地でした。
7. 宿命の着地点:仙台・大町(現在)
そして約5年前に独立開業し、導かれるように1年前にクリニックを移転した場所こそが、現在の拠点である「大町」でした。驚くべきことに、この大町はかつて片倉小十郎公のお屋敷があった仙臺緑彩館から歩いてすぐの場所。
四方の敵と戦い抜いたすべてのキャリアが、最後は小十郎公の住処であったこの大町の地へと、見事な一本の線となって導かれていたのです。
関係のない場所には行かず、小十郎公の足跡だけを辿る奇跡

大学時代の三条町、原点の長井、挑戦の地・いわき、激戦地の会津、宿敵の牙城・山形、防衛の要であった名取、そして再び激戦の郡山を経て、仙台市青葉区大町へ。
ここで最も驚くべきことは、東北の中で、岩手や秋田、あるいは山形の中でも庄内、新庄といった、小十郎公の戦いや知略に関係のない場所では、私の36年間のキャリアの中で常勤医師として過ごすのを完全に避けてきた、という事実です。
平和な後方地域や他家の領地には目もくれず、ただひたすら小十郎公が住み、知略を尽くして戦った主戦場だけを、寸分の狂いもなく一本の線で辿ってきました。
ごく最近まで全く氣づいていなかったこの事実をすべて結んだとき、鳥肌が立つような衝撃とともに、これは私自身の意志だけで選んだ道ではないと確信しました。「困難に立ち向かう患者さんを支える『いのちの軍師』として生きよ」
という宿命を小十郎公から授かり、この大町に導かれた。
その強い覚悟を胸に、私は日々患者さんと向き合っています。
さらに今年からは、小十郎公の末裔が代々宮司を務められている青葉神社の敬愛会メンバーというご縁もいただき、春の大祭では宮司様に直接ご挨拶する機会にも恵まれました。
がんという大きな困難を前に、進むべき道を見失いそうなとき。
どうか、この大町の地で待つ『いのちの軍師』を頼ってほしいです。
かつて小十郎公が政宗公を支え抜いたように、私は知略と対話のすべてを尽くし、あなたとご家族の歩む道を照らすコンパスであり続けます。




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