パワーワードの魔力 ― 言葉に操られる時代にどう生きるか【言葉と信頼シリーズ 第2回】
- 和田仁
- 11月20日
- 読了時間: 4分
前回のシリーズ第1回では、「資格」と「信頼」の間にある誠実さについてお話ししました。
今回はその続編として、「言葉の力」そのものに目を向けます。

医療、健康、セラピー、そしてスピリチュアルな分野に至るまで、私たちの心を強く惹きつけるパワーワードが数多く存在します。その言葉は時に希望を与えてくれますが、一方で、冷静な判断を鈍らせてしまう危険もはらんでいます。
今回は、その言葉の光と影について、医療者の視点から考えてみたいと思います。
心を揺さぶるパワーワードとは?
書店やインターネットの広告を見ると、つい目や心が奪われるような、美しく心地よい響きを持つ言葉があふれています。
「必ず治る」
「奇跡の」
「末期でも諦めない」
「先端がん治療」
「がんが自然に消えた」
どれも希望を感じさせ、心が前を向く力を与えてくれる、人を動かす言葉です。
しかし、その魅力的な言葉が「どの程度の根拠に基づいているのか」という視点が、極めて重要になります。
感覚的な真実と科学的な真実の境界線
パワーワードの多くは、科学的に何度も確認された事実ではなく、感覚的な真実に基づいている場合があります。例えば
「私はこの方法で救われた」
「私はこう信じている」など。
こうした個人的な体験や信念は、その人にとっては紛れもない真実であり、決して否定されるべきものではありません。
しかし、その一人の事例の真実が、万人にも当てはまる科学的な真実とは限らないのです。
「(民間の)◯△療法でがんが消えた」という話を聞いたとき、私たちは「本当かもしれない」と思う前に、一度立ち止まって、次の質問を投げかける習慣が大切です。
「客観性ある医学的証拠(画像検査など)はあるのか? 」
「標準治療など他の療法をいっしょに実施していなかったのか?」
「その効果は、統計的に意味があるものなのか?」
立ち止まって問いかける習慣こそが、誤った判断を避ける、私たち自身の安全装置となります。
医療者が断定しない理由
前回もお伝えしましたが、私たち医療者が「必ず治る」「100%効果がある」といった断定的な表現を通常使わないのは、弱さではありません。
私たち医療者は、多くの場合で万人に当てはまる確かな根拠=エビデンスを元に言葉を選びます。そして、人間の身体の複雑さ、病状の個別性を理解しているからこそ、軽々しく「絶対」という言葉を使わないのです。
それは、人間の身体の複雑さを理解しているからこその、誠実さです。そうでない医療者もいらっしゃるのが問題ではありますが。。。
パワーワードの裏に潜むリスク
力強い言葉は、ときに判断を鈍らせ、判断の義務から私たちを解放してくれます。
その背景には、安心を求める心と考えることに疲れた現代人の心理が重なっていると考えています。曖昧な現実の中で、「これさえ信じれば大丈夫」という言葉は、一種の救いとして作用するのです。
しかし、特に注意したいのは、その救いの言葉の背後に、高額な費用や大切な時間を失うリスクが隠れていないか、という点です。
希望を抱くあまり、エビデンスや費用対効果を十分に検討しないまま、人生の重要な選択をしてしまうケースは、決して少なくありません。
『信じる』と『考える』の両立
私は医療の現場で、希望を信じる患者さんの持つ、信じる力が病状に大きな影響を与えることを何度も見てきました。この力には大きな意味があります。
しかし、信じることと盲信することは違います。
信じるとは、考える力を残したまま、希望に心を預けることです。
言葉は人を動かし、時に人生の選択を左右する薬にも毒にもなります。その力を知っているからこそ、私たちはどう使うかを常に問われているのだと思います。
美しい言葉に酔わないこと
誠実な言葉を選ぶ努力を続けること
希望の裏側にあるリスクも正面から見つめること
それが、情報にあふれた時代を生きる私たちにできる、言葉との誠実な向き合い方ではないでしょうか。
おわりに
言葉の力を信じながらも、その力に流されないように。そして、受け取る側も、発信する側も、誠実な言葉を選べる人でありたい。
それが、「希望を届ける言葉」の第一歩だと私は思います。
【次回予告】
シリーズ第3回ブログは
『情報の海で溺れないために ― 調べる力と判断する力』というタイトルで、情報過多の時代を生き抜くための具体的な情報の見分け方についてお話しします。




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