足元ではなく、前を見て
- 和田仁
- 3月24日
- 読了時間: 6分
私の故郷は静岡県ですが、今も地元で暮らす同級生の一人が、近くの病院に定期的に通院しているそうです。私も還暦を迎え、来月には61歳になります。私と同様笑、同級生の多くも身体のあちこちに不調が出始めるお年頃になりました。
その同級生が通っているのは、地元の大学病院といえる施設。しかし、どうやら良い医者もいれば、そうではない医者もいらっしゃるみたいです。
その同級生が最近、小噺(こばなし)を習いはじめたそうで、ある話を教えてくれました。
「え〜世の中には、良い医者と悪い医者がいます。だからこそ、セカンドオピニオンなんてーのがあるくらいですからね。 ある人が、良い医者と悪い医者の見分け方を教えてくれたんですよ。 良い医者は初めて診察する時、その患者の目をじーっと見る。 悪い医者は、足元を見るってね。」
その同級生、あとで追加で「これ、笑い話なんですよ」と教えてくれました。
この話を聞いて、「足元を見る」という言葉の意味が気になり、Googleで検索してみました。最近はAIによる概要というのが出てきますが、そこには「相手の弱みを見抜いて、それにつけこむことを意味します。」という説明が出てきました。
たしかに、良い医者は診察時に患者さんの目をじーっと見ます。それは初診時でなく、常に正面を向いて、目を見ながらお話をする。これは基本スタイルだと思います。
わたし自身も、診察の際は正面を向いてお話することを心がけています。相手の目を見るのは基本になると思います。ただ、私の欠点といいますか、難点といいますか、その分、治療内容を説明する時などになかなかリアルタイムで診療記録(説明書)を書くことができず、あとでまとめて書いたりですとか、もともと書いてある定型的な説明が印刷された説明用紙に口頭説明内容の簡単な追記をするだけでご署名(サイン)をいただき、最後に自分の名前を書いてお渡しするという形をとったりすることが多いです。本来は、話ながらその場で記録するのが理想なのでしょうが、苦手というか。
でも、後付けの説明書をお渡しすることでクレームを受けたこと、私はこれまでありませんでした。東北の患者さんたちは優しい方が多いからかもしれませんね。むしろ、「コンピューター画面ばかり見て、診察されるのが嫌」という声のほうが多いですよね。
診察時の姿勢が与える印象
実は、私も過去に診察態度で投書のクレームをいただいてしまったことがありました。ある日の外来で、ほんとはきちんと落ちついて診察や説明をしなければとわかっていながら、時間が迫っている会議を気にしながら診察していた時のことです。つい、患者さんの後ろの壁に掛かっている時計をチラチラ見てしまい、診察後に「和田先生は私ではなく時間ばかり気にしている」というクレームの投書があったのです。
なかなか難しいなあと思いながら、最近もたまに時計を見ちゃうということがあります。私は基本的に腕時計をしないということもあって…パソコン画面ばかり見ていたら、時間は気にならないかもしれませんが、それは本末転倒でしょうし。
まあでも、きっとこれからの時代は、音声の文字おこしを自動でしながら、個別の説明書がリアルタイムで作成されるのでしょう。
患者側として私が経験したこと
わたし自身が患者家族として、ある医者の診察時に味わった貴重な経験をご紹介します。

数年前、わたしの母に認知症のような症状がではじめたため、地元仙台の有名な某脳外科病院を受診した時のことです。私たちのほうで受診前の連携手続きに少し不備があったのは確かなのですが、外来診察前の待合室で外来看護師さんがわざわざ顔を出してきてくださって、「今日の外来の先生、少しご機嫌が悪いかもしれませんけど、どうかご容赦くださいね」と、事前に教えてくれました。
「わざわざ連絡をくださるなんて」と思いつつ、間もなく診察室に呼ばれました。
そこにいたのは、当時の年齢30歳代くらいの脳外科医。わたしより20歳くらい若いかなって感じの男性医師でしたけれども。わたしに正面で向き合い…あっ、これは良い医者のスタイルでしたね。
ただ、首から下は、両腕を組み、そして下半身は、右足裏を私のほうに向け右膝を左足の上に乗せた格好で、顔はしかめっ面。説明をする時もかなりきつい、まあ威圧的にといって良いような感じの診察でした。
なかなか今どき、こういうスタイルで初診時から外来で説明をする医者がまだいるんだなあというのは、かなり驚きました。まあただ、どうしてもその先生に診察をしてもらうというこちら側の事情もあったので、やむなくそのままお話を伺いました。その時に、「先生、その姿勢はいかがなものでしょうか」と言ったほうが良かったかなという想いをずっとかかえながらも、結局は言えなくて。
んー、でもやはり問題があるんじゃないかなって思って、その病院の投書箱か何かあるかなーとありそうな場所をざーっと探してみたのですけれど、結局なくて。外来の受付で「投書箱はありますか?」と尋ねてみると、「そういうものはございません」という一言で終わり。そういうスタンスの病院だから、あんな感じの先生がまかり通るのかもしれません。
もちろんGoogle口コミなどへの書き込みという手もありますが、(おそらくそういう)病院の経営者はそんな口コミに目を通すかは疑問ですし。さすが、昔から威圧的な雰囲気が漂う某大学脳外科さんの伝統をしっかり受け継がれた医者だなあとも思いました。
もちろん、わたしがこれまで診察などで説明をした時も、相手によっては、いやわたしの時間なく駆け足で早口で説明した時などは、威圧的に感じさせたこともあるでしょう。常に患者さんの立場に立ち、謙虚というか丁寧に接するというのは大事だなあと、自分が患者さん側に立って感じました。
「足元を見る」の本当の意味
「足元を見る」という言葉の語源は、江戸時代の籠(かご)屋にあるそうです。街道で道行く旅人の足元を見て、草履とか足袋がきれいな人は歩き出してまだ間もないから疲れていないけれど、足元が汚れている人というのは相当の距離を歩いているから疲れているから、高い運賃をふっかけても籠に乗るだろう。そういう由来なんだそうです。
そこから、「相手の弱みにつけこむ」という意味になったとか。
私も、陽子線治療を担当するようになって、患者さんの経済的負担というか、懐具合をより考えるようになりました。先進医療や自由診療の場合は、全額自己負担で一連の治療費が300万円ほどかかります。保険診療みたいに高額療養費で後で戻ってくることはない(もちろん一時的にかかる自己負担金も多くの患者さんたちにとっては重いのですが)、実費負担は非常に大きいものです。もっとも、先進医療保険特約に加入している方々は、保険会社さんが金銭的負担をしてくださるので、むしろ積極的にご提案できます。
もちろん、経済的な事情を考慮することと、患者さんの「足元を見る」ことは別です。お金の価値というのは、人それぞれだとも思います。とはいえやっぱり、粒子線治療の選択というのは保険診療よりも金銭的事情を意識せざるを得ませんでした。
まあでも、あの脳外科医は論外ですね。いままで、クレームなり投書なり、他の病院でもきっとあったはずなのに。
数年たった今も、同じような診療を彼はまだ続けているのだろうか?もしかすると、今では、診療科の部長クラスになっているかもしれない年齢層ですね。
診察時に、患者さんの「足元」を見るのではなく、しっかり「前」を見て、向き合う姿勢を大切にしたい。そう改めて思っています。
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