今日は、わたしが開業前に勤務していた福島県郡山市にある南東北がん陽子線治療センターで出会った、わたしに今の開業を決意させてくださった方々とのエピソードをご紹介させてください。
最初のエピソードをお伝えさせていただく方は、南東北病院を一代でいくつもの施設を立ち上げた凄腕理事長、渡邉一夫先生です。
実はわたし、訳アリで宮城県立がんセンターを2015年に自主退職し、自ら希望して南東北に移籍させていただきました。訳アリの理由については、また別の機会に、同業者以外の方々にも事情や経過がなんとなくわかるようにこっそりお伝えしたいと思っています。ただ実は、噂の渡邉理事長のもとで、ぜひ一度お仕事をさせていただきたい!というのも自分の中にありました。正直いって。
東北地方というのは、公立病院が非常に多い地域です、良くも悪くも。福島県は比較的民間病院が多い県なのですが、その中でも南東北病院は、残念ながら先日他界された徳田虎雄先生が一代で築き上げた徳洲会病院グループみたいな勢いのある、とても面白そうな病院に見えていました。すでに徳田先生はALSで現場から離れてしまっていましたが、南東北病院では渡邉理事長がまだまだバリバリグループを率いている時でした。
約20年の勤務医生活で大半を過ごした、いろいろな公的病院のまったりさや、なあなあさに正直うんざりしていた私は、バリバリ民間病院をここまでに成長させた渡邉理事長ってどんな先生なのか、すごーく興味を持っていました。それが自ら志願して南東北へ移籍した大きな理由の一つでした。
南東北へ移籍後まもなくあった医局歓迎会の日、私は主賓で、キャリア的に准教授とかをしてきたおかげか、おそれ多くも理事長先生の真向かいに着席できました。会の乾杯あいさつの後、せっかくの機会でしたので早々に渡辺理事長に「すごい施設ですね!」みたいなことをお伺いしてみました。すると渡邉理事長、ただ一言。
「誰にでもできる、みんなやらないだけだ」
ほんとに即答で、あっさりとした一言でした。しかし、当時のわたしにはタイムリー過ぎて、いきなりずしっと重い言葉でした。この言葉は、実際にやった人できた人にしか言えないと思います。わたし、けっこう衝撃を受けました。そして、この一言が、その後のわたしに1つの希望の光を灯してくださった瞬間でした。
渡邉理事長の一言は、それから6年後にやっと開業したわたしを、ずっと支えてくれました。独立開業を決意して辞意をお伝えに理事長へご面会させていただいた時、話の途中でおもわず涙がこぼれだしてしまいました。理事長、わたしがなんで突然涙を流したのかわからなかったでしょうから、涙声で「歓迎会の理事長からいただいた一言が、今回の決意につながりました。ほんとうにありがとうございました。」とお伝えさせていただきました。そして「がんばれ」と、理事長から再び励ましの言葉をいただきました。
ようやく希望の和田になりました。渡邉理事長、あらためてこの場をお借りして、深く御礼申し上げます。
次にエピソードをお伝えさせていただく方は、いや方々は、全国から南東北がん陽子線治療センターを受診され陽子線治療を受けられた患者さんやお付き添いの方々です。彼らからも、本当に貴重な経験を数多くさせていただきました。
南東北がん陽子線治療センターで治療を受けられた患者さん体験談で、しばしばご登場いただくのが、俳優の村野武則さんです。テレビドラマ「飛び出せ青春」の熱血教師役など、数多くのドラマや映画、バラエティー番組などで知られる芸能人で、私も浜松で開催された陽子線講演会でご一緒させていただいたことがあります。
村野さんは2015年、ステージ4の中咽頭がんと診断され、告知を受けたときにある病院の当時担当の耳鼻科医へ『余命はどのくらいなんですか?』と聞くと、『それは聞かないほうがいいですよ』と言われたそうなんです。なんかそれもおかしい話ですよね、今日は深入りしませんが。
でも、村野さんと奥さんは諦めなかった。いろいろ調べてご夫妻で南東北の陽子線治療を選択、見事完治されました。9年経過した今も、お元気にタレント活動をなさっておられます。
そして、実はそんなエピソード、村野さんだけではないんです。私が南東北がん陽子線治療センターで主治医になった患者さんたち、紹介元の病院の当時の主治医と仲たがいしても、例えば鹿児島とか広島とかとても遠方にお住まいであっても、自ら選んで受診される方々の経過の良さには、ほんとにびっくりしました。
がんが治る治らないにかかわらず、ご本人の納得や満足度が全然違うんです。そして、さらにがんの治療効果もよくって、治りやすいし転移も起きにくい印象が強いんです。生存率の違いなどのデータをきちんとは出してないので、ほんとに私個人の感想なのですが。
もちろん、陽子線治療が有効だからかもしれません。ただ、私が南東北に着任するまでの医師としての20年間もの経験や感覚と、南東北での6年間の治り方の違いの感覚は自分の中ではけっこう違います。そして、診療経験が増えれば増えるほどにさらにどんどん強くなる感じです。陽子線、患者さんたちにとって、希望の放射線です。
そんな経験をさせていただいた南東北さん、本当に勤務させていただけて良かった。改めてこの場をお借りして、深く御礼申し上げます。
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