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脳腫瘍と闘い、十八歳で逝ってしまった最愛の娘へ 「春の香り」 坂野和歌子・貴宏著 文芸社


 「11歳、小学6年生の若さで発症した難治悪性脳腫瘍である膠芽腫。摘出手術そして術後の抗がん剤や放射線治療の影響とも向き合いながらしばらく寛解したものの、6年後の高校生の時に局所再発で再手術、そしてほどなくして再再発し、命には限りがあることを意識した」(書籍カバー記載より引用改変)、坂野春香さん(享年18歳)とご両親を始めとしたご家族の闘病や介護の記録を記した書籍です。

 

 膠芽腫は原発性脳腫瘍の中でも最も予後不良なタイプです。完全切除しないと治ることが難しく、切除できたとしても局所再発リスクがとても高い疾患です。そして、再発するといろいろな身体的症状だけでなく、精神・人格障害なども出現・進行し、本人はもちろんのこと、ご家族も日々の生活・介護がとても辛く苦しいことがしばしばあります。

 春香さんも11歳で発症してから再発・再再発と経過した7年余りの間、麻痺や失語症、視力障害、そして精神・意識障害やけいれん発作など、多様な脳腫瘍の再発症状をきたし、数々の葛藤や不安をかかえながら学校や自宅そして病院での生活を送り、ご家族も懸命に介護を続けられました。私たちから見ても壮絶で大変な生々しい日々の描写が多く、同じ病で治療中の方々などはこの本を読むこと自体が辛いかもしれません。

 

 書籍の前半では、春香さんの脳腫瘍発症からの記録と思い出をお母さんの和歌子さんがまとめられています。後半では、春香さんの願いでもあったという再発からの1年あまりの日記を、春香さんの生きた証としてお父さんの貴宏さんが記されています。そして、随所に春香さん自身の生き様が言葉として残されています。


 このブログ、本来は読書感想文を書く所なのですが、私の中途半端なコメントや想いはかえって雑音になりそうな気がするので極力控え、今回は本文の抜粋を中心に以下掲載することにいたしました。


 和歌子さんは、まえがきで以下のように書いておられました。

 『春香は再発してから毎日のように、人の心に何かを刻みたい、人の役に立ちたいと言っていた。それは亡くなる十日ほど前まで続いた。そして夫に、全てを記録に残してほしいと言った。夫はその日から毎日、春香の様子を日記に綴った。

 漫画家を夢見ていた春香、生きていたらきっと漫画で何かを表現し、人の心に刻みたかったはずだ。志半ばにして逝ってしまったけれど、悪性脳腫瘍に侵されても、再発してもなお、幸せを感じ、大いに楽しみ、いつも美しいものを感じようとして生きた。

 筆を走らせながら、人の心に何かを刻みたい、人の役に立ちたいという春香の願いを少しでも叶えられたらと、闘病とその介護の記録を書き上げた。手に取っていただいて何かを感じてもらえたら、とてもうれしくありがたく思います。』(書籍p.3−4より引用)


 また、貴宏さんは、あとがきで以下のように書いておられます

 『春香は亡くなる数ヶ月前に症候性てんかんと精神症状をともなう発作が始まりました。悪性脳腫瘍(膠芽腫)の初発からそれまで、私は春香から泣き言を聞いたことがありませんでした(妻には話していたかもしれませんが……)。春香は、どんなにつらい状況でも、自分の意志を貫き、過酷な運命を受け入れていったように思います。我が娘ながら、その心意気に胸が熱くなります。発作が始まってからでも、「死にたい」「生きたい」の揺れ動く心のなか、「人の役に立ちたい」と常に家族に訴えていました。本来ならば、伏せてしまいたい内容も「全部正直に書いて」と私に申していました。この本を読んでいただいた読者の皆様が、少しでも春香の人生から何かを感じていただけたら、父としてこれほどうれしいことはありません。妻・和歌子の文章を読んでいただき、「春の香り」を感じていただけたら幸いです。』(p.165-166より引用)


 そして、春香さんは、家族へあてた日記と、詩を二つ残しています。

『パパ、ママ、京香(お姉さん)へ

 私という自我が死んでしまったかもしれないので手紙を残すことにしました。パパ、ママ、この世に存在させてくれてありがとう。(お姉さん)、いつも、味方をしてくれてありがとう。十七年間つらい時期もあったけど四人でいると楽しいことでいっぱいでした。心から家族が大好きです。

 不幸とは幸せだと気づかないこと、敗北を認め大いに楽しむこと、どんなところにも美しいものはある、それこそが運命、私が人生において大切にしている言葉です。

 なので、正直怖くはありません。たとえ私が変わってしまっても「家族は一つ」だしね。

       春香 二〇一九年十月十七日』(p.73より引用)


『春香は、次のような詩を二つ作りました。

 

 みちばたで さいた 花 泥だらけ

 でも なんでだろう たくましく見えて

 そうだ いつも そこにある花は いつも そこにあって

 あたりまえにさいている花 つまらない まことにすばらしくない花

 アスファルトに咲く花

 あそこは輝く宝石に思えた

 しばられない そこにある花

 やっぱり あの花が 咲き誇るべき

 

 二重に見えた。あ、そうだ。

 二重に見えたって話を作りたい。

 二重に見えた。四重に見えた。このまま、みえなくなったらどうしよう。

 今日は二重に見えた。

 明日も二重に見えた。

 二重に見えたらどうしよう。

 今度は泣いた。

 次の日治った。喜んだ。

 次の日夢だった。また、悲しんだ。

 眼科紹介した。見えなくなったけど、眼帯もらえて。


 詩の出来は、評論家ではないので、良し悪しはわかりません。でも、春香は絞り出すような声で、この詩を詠みました。心の叫びが言葉となって表れているようでした。小学六年生で発症してから、二度の大きな手術に耐え、毎月のつらい化学療法にも耐え、泥だらけになりながらも、みんなと一緒にはなれなかった春香。「生きたい、死にたい、でも生きたい」の繰り返しでも、最後には「生きたい」と言ってくれた言葉に嘘はなかったと思います。』(p.113−114より引用)


 春香さんと双子のいとことの間には以下の会話もありました。

『いとこのゆりちゃん・まりちゃんからテレビ電話がありました。春香が「私、最近二重に見える」と言うと、「それ、正常だよ。私たち、双子だもん」という、面白いやりとりがありました。少し場が和みました』(p.116より引用)

 私、典型的なオヤジでありまして、こういうやり取りが大好きです。中途半端な慰めや励ましではない、センスの良い素晴らしい即座の返し文句です。いささか重い気分で読書していた私も少し和みました。


 『体力の低下や複視はあるものの、春香の心の成長は目を見張るものがありました。何にでも感謝し、いつも「ありがとう」と言います。そして、春香はこの記録を私と一緒に作りながら、「幸せ」とも言ってくれます。この記録では書ききれないつらいことがあったと思いますが、いくつもの壁を乗り越え、大きく成長したように感じました。』(p.100より引用)

 感謝と幸せの言葉って、やっぱり大事なんですね。言霊、ですね。



 みなさまも是非この書籍を手にとって、春香さんの生きた証をご覧いただき、彼女が残した「何か」を感じてください。


 春香さん、ありがとう。安らかに。


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